シャモニクラブ 山行記録

穂高岳(2010年5月山行)

2010年4月29日〜5月4日  【参加者】A組 L冨田、笹川 B組 L小野(幹事)、山川、柴原、有村、、蓑和


1日 A組の冨田、笹川は、29日に横尾泊、30日に屏風岩東稜に登攀したが、雪、岩、天候のコンデションが悪く、途中で断念し、トラバースして涸沢ヒュッテに宿をとり、2日からの再アタックに備えて、横尾山荘に。B組の山川、蓑和、小野は横尾山荘、柴原は明神館、有村は松本駅前の東急インに宿をとる。横尾にて偶然にも5人が合流。

2日 A組は早朝に出発し、屏風岩東稜へ向かう。B組は前日それぞれの宿泊地から涸沢ヒュッテに集合。途中、屏風岩を望遠し、2人を探すも、確認できず。後日、山川の写真に、笹川らしき人影を発見し、当人に確認。登攀は、相変わらずの雪・壁のコンデションの悪さに阻まれ、4ピッチ終了時点で、打ち切り下降し横尾に投宿(7時半着)し、3日に帰京。


5/2 テラスから奥穂を望む

3日 蓑和さんはヒュッテで待機。他の4人が北穂沢-北穂-涸沢のコル-涸沢岳-白出のコル-奥穂往復を目指して出発。有村は体調悪く北穂で断念。他の3人は、涸沢岳まで縦走の後、穂高岳山荘で休憩したあと、奥穂の雪の状況がわるく、自粛勧告がでているとのことで、奥穂往復はやめてヒュッテへ戻る。5人揃って夕食。

4日 朝食後、柴原、有村は先発で下山。山川、蓑和、小野は上高地の市営アルペンホテルで温泉につかり、昼食後、臨時のあずさで帰京。

今年は例年よりも積雪が多く、各所に大きな雪庇ができていたが、行動日は気温がそれほど下がらず、天候にも恵まれ、北穂からの縦走は無事に行動ができた。ただし、涸沢のコルからの登りは、危険がイッパイで、はらはらどきどきする場面が随所に現れ、1箇所、先行するガイドに助けられた。今後は年齢も考えて、もっとアンザイレンなどの安全登山への配慮が必要との意見もあり、今後の課題をのこした。


◆各パーティー報告◆


〜以羚瞞風岩雲稜ルート・東稜ルート(ブログへ)

メンバー:L冨田、笹川 〔報告者:笹川〕



5/2 8:27 縦走路から遠望、下部岩壁左端に人が5/2 8:36同 中央の雪壁上部に人影

5/2 8:51同 真中の岩に赤い人影



∨綿罅涸沢岳縦走 5月1日〜月3日

メンバー:L小野、山川、柴原、有村 蓑和 〔報告者:小野〕


5/2朝 横尾にて5/2 屏風岩正面壁を望む

5/2 涸沢への登り5/2 ヒュッテ目前

3日 朝食の弁当をたべ、5時にはヒュッテを出発し天候に恵まれたせいかいつもより多めのテント村、涸沢小屋脇を通り北穂沢へ。早朝ではあるが、適度な柔らかさをもった雪面を順調に登り、途中、東稜への分岐では何組かのパーティが東稜に向かっている。東稜は、いつもよりも積雪が多いせいか、ほとんど岩が隠れている。北穂には、7時半ごろに到着した。天気は絶好で、大キレットから槍が岳にいたる稜線や、四囲の山々が一望できる。今年はGW直前まで積雪があったせいか黄砂による雪面の変色も見られず、素晴らしいながめである。

5/3 南稜テラス5/3 北穂小屋前


5/3 北穂から槍、大キレット5/3 北穂から前穂を望む

しばしの休憩のあと、体調がいまいちすぐれない有村とわかれて、再び頂上に出て、写真などを取った後、いよいよ涸沢岳への縦走である。一旦、松濤岩のあるコルまで降りて、南峰への頂稜をたどり、ドームの岩峰見ながら、雪のたっぷりついた稜線を涸沢側と滝谷側を交互に通過し、間もなく、奥壁バンドに出る。


5/3 稜線から槍、北穂を振り返る5/3 先行パーティ

滝谷の岩壁群が切れ落ちていて、ナイフリッジ状の縦走コースはこれら岩壁の最上部を横切るようにつけられている。注意深く通過し、涸沢のコルに至る。ここが北穂小屋から穂高岳山荘の丁度中間点くらいだろうか。

涸沢岳方面を眺めると、雪がたっぷりついて、少しいやな様相をしている。たまたま、前方から来合わせた縦走者は、「危険なので涸沢岳は巻くようにとの助言を受けて、雪渓を 大きく迂回してきたとのことである。確かに、ここから涸沢岳方面へ向かう登山者の姿は認められない。少しためらっていたが、プロガイド(後で熊田さんと判明)と若い女性が出発し、後方には、木本哲ガイドがやはり女性クライマーと出発に備えて休憩している。

5/3 涸沢岳方面5/3 白出のコルへの下降

ここからは、夏道ならば、相当数の鎖や鉄梯子が続いていたように記憶しているが、多くは雪の下である。先行する熊田パーティの踏み跡をたどることで、ずいぶん得をした気分である。涸沢槍を通過し、最後の涸沢岳へ抜けるルートは、終了点に大きな雪庇がとうせんぼをしているようで、不安定な、雪・氷・岩のミックスしたかなりの傾斜のルンゼ場の ところで、上部でガイドが雪庇を崩しているのを、時にスノーシャワーをあびながら待機した。最後の稜線に出る箇所では、われわれ3人はそれぞれ、熊田さんのロープで引き上げてもらった。

涸沢岳の頂上からの眺望も抜群である。下をみれば、穂高岳山荘の赤い屋根が、正面には 奥穂岳への頂稜が展望できる。左はるか下には、涸沢のカラフルなテントが米粒のように 小さく望める。

穂高岳山荘では、しばし休憩し、写真家の内田修さんとしばし歓談し、小豆沢を下降し、 涸沢ヒュッテに戻る。

涸沢ヒュッテ(5:00)−北穂高頂上(7:50-8:10)−涸沢岳(12:00)−穂高岳山荘(12:30-13:00)−涸沢ヒュッテ(15:30)

山川 北穂〜白出コル間は緊張を強いられるルート状況だったが、ザイルを使ったのは凍結した岩場の下降一か所だけで、あとはノーザイルで踏破した。天候にも恵まれたが経験、技量、体力からも問題のないルートだった。しかし、64歳、66歳、70歳というメンバーの年齢を考えた時、もう少し慎重であるべきだったとの反省がある。もし不安定な雪壁に張り付いている時に、高齢者に起こりがちなめまいや脳虚血が起きたらどうなるか。一昨年私が、昨年会員某氏が、それぞれ原因不明のめまいで通院したことがある。メンバーの高齢化を考慮すると、面倒がらずにザイルを結びたい。



2嫉 5月4日

4日朝は、柴原、有村は朝食後一足早く下山した。朝方は、稜線に雲がかかっていたが、涸沢を下りはじめて振り返ると稜線の雲が消えて上天気になっていた。
蓑和さんは、涸沢までの登り同様に帰路もしっかりと一般のコースタイムを上回る速度で歩を刻み、横尾には、9時前に着いた。ここでコーヒーを飲みながらA組の様子を聞いたところ、2日は遅くに到着したとのことであった。上高地には、12時半頃につき、帰りのバス予約などをして、アルペンホテルで汗を流し、バスターミナルで昼食をとって帰路についた。新島々では30分ほどまたされたが、松本では、丁度よい臨時のあずさ(指定席はすべてSoldoutだが、自由席はがらがら)で帰京。



5/4 涸沢の下降、お揃いのTシャツで5/4 上高地の野猿

小野 10年(?)ぶりに蓑和さんが、涸沢まで登り、ヒュッテのオヤブンこと小林さんや社長の山口さんと旧交を温めることができたことは非常に良かったとおもいます。 また、いつものことですが、山口さんの以前とかわらぬホスピタリティには頭の下がることです。


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